仕事の原動力

学生時代に体育祭や文化祭といった催し物に参加させられたと思います。
小学生くらいの時は運動会もただ楽しいだけだったり、音楽会も楽しいイベントの一つだったかもしれません。
アイデンティティが出来上がってきて、同級生の中でも好き嫌いが現れてくる思春期のころは、体育祭も文化祭も学校側の強制行事のように感じて、嫌々参加していた人もいるでしょう。
ですが不思議なことに嫌々参加していたわりには、準備をしたり練習をしているうちに仲間意識が芽生えてきて、嫌いだったり苦手だと思っていた同級生とも楽しく過ごす時間を共有することが出来たりします。
そして体育祭や文化祭が終わる頃には一抹の寂しささえ感じてしまうほどになっているのです。
人は不思議なもので、無理やりその環境に追いやられても、その中からやりがいや喜びを見出すことができる能力があるようです。
これは特に日本人の気質に多いようで、希望した仕事でなくても、与えられた仕事をやり遂げる喜びを感じたり、仕事をするやりがいを感じる人が多いようです。
決して悪いことではなく、むしろ良いことだと考えるべきだと思います。
嫌だという感情に覆い隠されて、少しの喜びも見出させずにいるよりもほんの少しの喜びを大きなやりがいとして感じることが出来れば人として成長していることではないかと思うからです。
そして一度このようなやりがいを感じた人間は、仕事で行き詰るようなことがあっても何かしらの工夫をして自分なりの「やりがい」を見つけ出すことが出来る人間になるからです。
やりがいは必ずしも仕事の成果で感じるとは限りません。自分が仕事をすることで誰かが喜んでくれる、自分が達成感を感じられる。それは人それぞれで違いますが、気持ち良い感覚は皆同じだと思います。


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